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H16年3月24日に,シリーズ第2部のDVD BOXと名作選其之弐の発売が決定したのに合わせ,水戸黄門DVD制作プロデューサー(Project-T http://www.pj-t.com/)の主催により下記の日程で特別モニター会が行われました。モニター会は第2部から第14話の『女将棋師・天童』見てもらい,その後座談会,意見交換会のような形で会は進んでいきました。
 
◆日時 2004/2/28(土) 
◆時間 11:00~(約2時間程度)
◆場所 東京恵比寿ガーデンプレイス 恵比寿ガーデンプレイスタワー 4階 「SPACE 6」
 
制作プロデューサーの方とは,DVD発売前にメールを頂き,DVDに関するやり取りをさせていただいておりました。このたび,特別モニター会を是非とも行いたいということで,急きょ決定した次第です。私モモもこういうのは初体験なもので,どうしてよいか分からず,不安ばかりが先走りオロオロしておりましたが,滞りなく終了しホッと一安心です。制作側との質疑応答では,かなり白熱した展開になり,色々勉強になりました。参加いただいた皆様,本当にありがとうございました。
 
 
▼感想
モニター会で,見た話は14話の『女将棋師・天童』。ゲストは里見浩太朗さん,大原麗子さん他。これは里見さんの,水戸黄門初出演作品だそうです。私,DVDを購入しておりませんで,水戸黄門のDVDを見たのはこれが初めてだったのですが,結構キレイなものですね。再放送で放送されたものをビデオテープに録画してあるのですが,それとは違いホント綺麗でした(人によって意見は異なると思いますが…)。VHSで発売されている方も,マスターから制作したものなので,結構画質等は綺麗だそうですよ。それにしても,DVDって便利なものですね。見たい話をラク~に選べるんですね。親分の風車で,見たい話を選ぶ作りがまたいいです…。下の質疑応答については,とりあえずメモできた分だけ下記に記載しております。
 
 
▼質疑応答の内容
●予告編について
DVDには予告編も収録されているそうですが,DVD BOXの11枚目にいっきにまとめて入っているそうです。それが不満という意見も多かったです。予告が残ってない話はしょうがないとして,予告が残っている話に関しては,話の後に自然に入ってくる方がいいとの声が多数でした。
 
●オープニングについて
これについては一番白熱していたでしょうか。制作側としては,あまり原版をいじれない,再放送時にCAL自身で再放送枠にはめるためにハサミを入れてしまったので,それについてはそのままDVDに起すしかないとのことでした。ただ,例えば現在関東圏で再放送されているシリーズ第8部などED等がたくさんカットされているが,それはオリジナルをコピーして各放送局に渡したもので,各放送局が放送枠にあわせてカットしており,そういったコピーされたものをDVDに起こすことはないとのことでした。
 
●CMについて
これは本編が始まる前の,NationalのCMについて収録はできないかという意見でしたが,CMを収録するのは色々制限があって,かなり難しいとのことでした。
 
●ブックレットについて
ブックレットに,誰がゲスト出演しているか記載して欲しいという意見も出ました。記載する内容にも一応制限があるとのことでしたが,ゲスト出演の情報に関しては,素人のHP以下の情報量だという厳しい意見も。
 
●3部のDVD BOXについて
6月発売予定。特典のフィギアは横内正のリアルフィギア。4話の『人狩り』(西村晃さん初ゲスト出演作品)も,何度か再放送されているフィルムが残っているので,収録される可能性は高いとのこと。ただし,オープニングは短いが。また3部のDVD BOXの発売に合わせて,またモニター会を開くかもしれない,関西方面でもモニター会を開きたいと制作側の方がおっしゃっておりました。また皆さんとお会いできる機会があればいいですね!!
 

▼会場の様子
 
初めて来ました,恵比寿ガーデン プレイス。
こんなに立派なトコだったんですね。
  
  入り口には立派な看板が。
私が来た時にはもう大勢の方達が外のソファで待っておりました。


制作プロデューサーの方が座る席。
フィギアなど置いておりました。初めて見ましたが,なかなかの出来。
温かいコーヒー,紅茶,冷たい飲み物等色々用意してありました。
希望の飲み物をスタッフの方が注いで下さり,いたれりつくせりでした。


モニター会直前の様子。テレビにて,傑作場面集が流されておりました。
人数は約20人くらい。当サイトの他に,制作プロデューサーの方でも応募を募ったそうです。
私は後ろから2列目、左から2番目の席に座っておりました。

 
モモです!お分かりになりましたでしょうか?当サイトを見て応募してくださった方全員と言葉を交わすことができなくて残念。このたびは本当にありがとうございました!! モニター会終了後は,一緒にきていた友達と恵比寿ガーデンプレイスを満喫しました^^
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H13.9.28 
やってきました、水戸黄門御一行様。「ご当地初お目見え!」ということで行ってきましたが、その様子が皆さんにうまく伝わるかどうかが心配です。というのも、写真が全くないのです。
 
 ▼感想
9月28日(金)、宇都宮市文化会館にて行われた舞台水戸黄門を見てきました。午後2時からと6時30分からの2回公演で、私は夜の部に行きました。チケット発売日に速攻でチケットを買いに行き、前から3列目の先をゲット!やっぱり前はいいなぁ~。それにしても、周りを見まわすと、軽く私の3、4倍は生きておられるような方が大勢。

握手もできるように通路側に座っていたのですが、惜しくも反対側を通って行かれた御一行。読みが浅かった…。音楽はお馴染みのものばかりで、29部では昔からの音楽がなくなりつつあったので、懐かしさもひとしお。初めて見る野村さんの浪人や侍姿も素敵でした。悪奉行も「もはやこれまでっ!!」してたし。

それにしてもTV水戸黄門でゲスト出演がかなり多い森次さんが、格さんを演じてるのはちょっと変な感じでしたが、格さんの雰囲気をすごく醸し出していました。やはり東野黄門さま時代からずっとゲスト出演してるだけあって、よく研究なさってる!?殺陣のシーンは、TVのように刀が斬り合う音はないのですね。音がない分、迫力はあまりないのですが、全て自分の力のみで殺陣を演じるゾ!という意気込み、熱気は感じられ、そこがまた舞台の魅力なのカナ~と一人感慨深げにしておりました。

舞台を見るのは初めてなので、そういう発見がいっぱい。ちょこっと気になったのが、「痴呆老人への接し方」を前面に押し出しすぎてたことでしょうか…。ある程度は、私達も勉強になっていいし、そういうテーマにならざるを得ない昨今なのですが、それにしてもちょっとな~という感じはしましたが。なにはともあれ、とにかく楽しかったです。久しぶりの佐野黄門さまも拝見できたしなぁ。しかも生で。生の佐野黄門さまを拝見するのは、太田時代まつりに続いて二度目の体験でした。
 
 
▼会場の様子 
  
会場で売っていたパンフレット。一冊1200円(だったかな?)。


チラシ。実際のあらすじはチラシの裏に書いてあったものとは少々違ってた。


舞台が終わると同時に、皆いっせいにゾロゾロと帰り出す。何かあるカナ~(握手会とかあるかも!?)と期待していた私。聞くところによると、郡山公演昼の部では、グッズとしておせんべいやら耳かきやらカレンダーやら売っていたそうです。あと『野村将希握手会』もあったそう。やはり地域の差、昼の部と夜の部の差ってあるものなのかな?宇都宮は何もなかったです。
 

文化会館の周りは水戸黄門渋滞!周辺混雑!その様子を車窓からパチリ。これぐらいしか、写真が撮れなかったのです。すみません。 


▼出演者 
演出:市川 正/脚本:村松 欣

出演者:
水戸光圀(佐野浅夫)
佐々木助三郎(目黒祐樹)
渥美格之進(森次晃嗣)
 
お糸(生稲晃子)  清吉の妹。金次と恋仲に。
お徳(長内美那子)  行方不明になったおりんの夫清吉の母。
おとぼけの勘兵衛(谷幹一)   枕探しの一味。ニセ黄門。
こねずみの金次(西山浩二)   枕探しの一味。お糸と恋仲に。
黒岩主膳(久富惟晴)  松江藩郡奉行。おりんに邪な想いを抱く。
高田又兵衛(堀部隆一)  松江藩街道目付。
熊五郎(常泉忠通)   中津屋の主人。
秋山新八郎(野村将希)  松江藩隠密目付。
おりん(高田美和)  湯本屋の若女将。

松岡富美/川田しのぶ/石久保愛/桂由花/山咲カンナ/益満哲也/山勢武則/鈴木義幸/阿部徳久次/山本隆博/中村大浩/山下康武/岡部光祐/山本誠二/田中謙次/大成功/稲葉大助/田中孝治
 
 
▼あらすじ (舞台水戸黄門パンフレットより)
 
『水戸黄門漫遊記 出雲路人情旅』
 
元禄六年初秋。
諸国漫遊のお忍び旅を続ける水戸黄門一行は、出雲大社の参詣をすませ安来宿に差し掛かっていました。安来は松江城から米子に至る出雲街道の宿場町で、中海に面した港は鉄を積み出す北前船で賑わっていました。全国的にも商品経済が発達し、武家をも凌ぐ経済力をもった町人が現れだすものの、農村は重税や凶作により疲弊し、様々な悪習が横行しておりました。
 
街道筋の安来には、いつもと変わらない風景がありました。港は北前船が往来し、温泉宿も賑わっております。その一角の旅籠屋「中津屋」には、街道筋に枕探しが出た、という話題があがっております。証人によるとその風体は“旅の隠居風の男と、手代の男”とか。しかし、あの黄門様一行であれば、“旅の隠居風の男と、手代の男”のはず。……では?
 
と、そこへ一人の若い男が一味と間違われて、街道目付の千波弥十郎の前に引っ立てられて来ました。なんと格さんです。しかし、よくよく話を聞いてみると格さんもまた被害者であり、あの印籠を盗まれ、御老公と助さんには内緒で枕探しを追って来ていたのでした。格さんが立ち去り、続いて御老公と助さんも枕探しに間違われてしまいますが、この偶然から格さんの失敗が発覚してしまい、さらにはこの様子をじっと見ていた「湯本屋」の姑、お徳が御老公を亡くなった夫と思い込んでしまい、何やらひと悶着ありそうな気配です。
 
湯本屋には、すっかり大旦那業が板についてきた御老公と助さんの協力もあり、以前の明るさと活気が戻りつつありました。さらには、今まで惚けてしまっていたはずのお徳までもが元気を取り戻し、以前、夫と二人で詣でた出雲大社の話をする程であります。これもまた、庶民の心を大切にする御老公の真心の賜物と言えましょう。しかし女将のおりんには、まだまだ気苦労がありました。一つは、この湯本屋の源泉のお墨付きが中津屋の熊五郎に狙われていること。もう一つは、半年程前、星上山へ山菜採りに出掛けたまま行方知れずになっている夫、清吉の事でした。

やがて噂の枕探し、勘兵衛と金次が黄門様になりすまして湯本屋へやってまいりました。まさか本物の黄門様がいるとはつゆ知らず、すっかり黄門様になりすまし、逗留することになりました。数日後、松江藩郡奉行の黒岩主膳が熊五郎たちと何やら画策しております。どうやら熊五郎が入手した抜荷の情報をもとに、いつも通りに不正なお金儲けをしようと言うのです。さらにはこの黒岩主膳なる男、湯本屋女将のおりんを我がものにすることと、我が身かわいさに、黄門様の暗殺をも指示したのです。
 
同じ日の夕方、湯本屋では豪華な食事をかこみ、ニセ黄門様は満足気です。と、そこへ再び惚けてしまったお徳がなぜか印籠を勘兵衛から取り上げて逃げ去ってしまいますが、御老公のとっさの判断でその場は和やかさを取り戻します。その晩、飯梨川のほとりでは束の間の幸せをかみしめる金次とお糸、助三郎とおりん、そして御老公とお徳たちがいました。それぞれの思い思いの事をしみじみ話し、明日への希望を実感していました。
と、突然銃声が!金次が黒岩主膳の指示を受けた秋山新八郎に狙われたのです。翌日、星上山の山中では黒岩主膳と熊五郎が黄門様暗殺の再確認をし、さらにはお糸を人質にする計画も加えます。
 
一方、御老公の指示で助さんと格さんが事件の捜査に乗り出した所、今回の事件の全貌が明らかになり、黒岩主膳たちの企てがついに黄門様に見抜かれてしまいます。と、その時黄門様をかばってお徳が銃弾に倒れ、黄門様とおりんに感謝の言葉を残し、死んでしまいます。同じ頃、勘兵衛と金次を、本物の水戸黄門様と思い込んでいた秋山新八郎は、黒岩主膳たちがお糸を人質として捕らえ、地獄谷の洞穴から、抜荷の品を運び出している事を見つけ、ニセ黄門様にお力添えを願い出ております。その人質となってしまっていたお糸は、洞穴で黒岩一味から全ての真実を聞かされ、とめどない怒りと悲しみに包まれてしまいます。
 
 ……こうして幾人もの人々の涙を犠牲にして、私利私欲に固執する黒岩一味を黄門様がどのように成敗してくださるのでしょうか?そして、この一連の事件で傷ついた人々の心に、いかにして光を差し癒すのでありましょうか?
 
いつの時も黄門様の真骨頂は、人情を重んじ、人々に生きる喜びを与えるところにあるのですから。
H11.3.22
緒川銘菓「風車の弥七」を求めてやってきました。
地元のお茶を使い、村おこし事業として作ったお菓子だそうです。
なかなかおいしい!


▲緒川村銘菓「風車の弥七」
皮の中に抹茶、中はきみあん。
ばら売りだと一個80円。
そのまんまのネーミングがいいですね。
 

 ▲「黄門最中」
ばら売りで一個80円。
中身はゆずあんで、とても綺麗なうぐいす色。
そんなに甘くないです。
自然の甘味でこれまたおいしかった。


▲最強コンビですね^^;
左が「風車の弥七」で右が「黄門最中」。


▲風車の弥七、中身は…
中はほんのり桃色。

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 お菓子処ふるさわ
那珂郡緒川村上小瀬2101-1
http://www.e-daifuku.com/
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H11.3.22
 
昨夜の車中泊は寒さ対策も完璧。
八百屋で新聞紙を貰い、身体中に巻付けて就寝。
翌朝は快晴、気分は爽快!
 
本日のメインイベント。
「水戸黄門」に登場する風車の弥七のモデルとなった、「松之草小八兵衛」とその妻「お新」の墓を訪ねます。
 
緒川村を走っていると、至る所で風車が目に付きました。
春のさわやかな風に吹かれてクルクルクルクル回っていました・・・。

▲お新の墓

▲弥七の墓

▲お墓の側にあった立て札
弥七の墓に、「水戸黄門ゆかりの里」と題した小冊子(小冊子と言ってもB4サイズの紙を二つ折りしたもの)が置いてあり、自由に持ち帰っていい形式になっておりました。下の文章は、その小冊子から写したものです。(※緒川村の許可を得て転載しております)
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風車の弥七の墓
「水戸黄門の諸国漫遊」は、義公が名君であったためにつくられた物語であるが、その中にでてくる「風車の弥七」は、実在の人物「松之草村小八兵衛」がモデルとなっている。
 
義公の御世(一六六一~一六九〇年)、常陸国松之草村(現茨城県那珂郡緒川村大字松之草)に、「松之草小八兵衛」という者がおった。この者は盗賊の頭領で、一昼夜に三十里(一二〇km)を往来し、忍びの術に於いても達人の優れた忍者であったという。後捕らえられたが、義公の尊徳をもって助命となったばかりか、一生涯二人月俸を給せられたので、その恩恵に非常に感激して、「自分の存命中は、決して御領内に盗賊は立ち入らせない」と誓ったというが、果たしてその言のとおり、彼の存在中は、水戸領内には夜盗の心配はなかった。又、小八兵衛は、領内や隣国の動静変事を探り、義公に報告する間者(隠密)として活躍したので、義公は居ながらにして、領内の変事はもとより、隣国の動静も知り得たという。 ≪中略≫
 
小八兵衛の墓が、松之草公民館の近くの山の麓にある。―帰真禅山祟心墓・元禄十一年戌寅五月二日歿―と書かれている。その傍らから、小八兵衛の女房の「お新」の墓碑ではないかと思われるものが発掘された。―●眞梅梢池春禅定尼霊位―元禄四年正月十一日歿―と書かれている。「お新」は旧那珂郡戸田村(現那珂町)から来たと言い伝えられている。≪中略≫
 
近年、緒川村は村内の史跡顕彰に力を注ぎ、地元松之草の協力を得て、墓地の整備を行い世に公にされた。
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また、お墓の近くには、水戸藩指定紙すき場跡地が。
黄門さまが水戸城内の奥女中達に紙すきをみせた所だそうです。
下記は、先ほどの小冊子に掲載されていたものです。
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義公の遺蹟
「義公が水戸城内の奥女中たちに紙すきを見せたところ」
資料によれば、寛政二年に水戸藩が藩外に売出した農産物の総額は、九万九千両余りで、その中で和紙は三万一千余両にのぼり、農産物総額の三十二%を占め、藩の財政を支える重要な産業であった。そのため光圀は、常に紙を大切に使用していたが、彼女たちは乱費に馴れ、改めようとしなかった。そこで義公は、ある年の寒中に、彼女たちを松之草(現緒川村松之草)につかわし、紙すきの苦労を見せたのである。寒中でもこの日は特に寒い日であった。しかし、紙すきの人たちは、冷たい北風に身をさらし、氷づくような寒水にはいって、手も足も真っ赤にして懸命に働いていた。このようすを侍女たちは熱心に見て帰った。そして以後、自分たちが日常使用している紙がいかに尊いものであるかを知り、たとえ一枚でも大切に使用したという。
 
この紙すき場跡は、松之草公民館の西百メートルのところにある。
 
このことは、水戸藩の学者、立原翠軒先生編「西山遺聞」や仙台藩の安積民斉先生著「民斉閑話」に書かれ、それらがよりどころとなり、明治三十三年(一九〇〇年)発行の尋常小学校用坪内雄蔵著「国語読本巻六」、大正八年(一九一九年)発行の国定教科書「尋常小学校終身書巻三」に採用されている。
 
なお、奥女中たちの松之草来訪は、小八兵衛が光圀公に進言して行われ、女中たちの案内・世話などは、小八兵衛たちがやったといわれている。
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風車の弥七の墓
水戸藩指定紙すき場跡
那珂郡緒川村松之草
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※この旅日記は、H11年3月に行ったときの記録です。本サイトの記録を、こちらのブログにまとめなおしたものとなります。現在、水戸徳川家墓所は、東日本大震災の影響で頼房公や光圀公の墓所石垣が崩れているとのこと(詳細はコメント欄に、茨城新聞の記事を掲載しています)。


 H11.3.21

この日は、助さんの住居跡→助さんの墓→水戸徳川家墓所(水戸光圀墓)と巡り、最後は瑞竜温泉黄門の湯で〆ました。

助さん住居跡
常陸太田市新宿町不老沢
助さんが住んでいたところ。建物等はなく跡地のみ。
助さんが使用したとされる深さ4mほどの井戸も残っている。


助さんの墓
常陸太田市増井町 正宗寺


 『水戸徳川家墓所
常陸太田市瑞龍町


瑞竜温泉 黄門の湯
常陸太田市瑞竜町51
http://www.koumonnoyu.jp/

瑞竜山で冷えた体を、ココで温めました。
泉質はナトリウム塩化物泉で、神経痛、打ち身、ねんざ等に効能有。すっかりリフレッシュ!!
 
温泉の玄関の所には黄門さまの像があります。
  
  
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