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風車の弥七の墓
H11.3.22
 
昨夜の車中泊は寒さ対策も完璧。
八百屋で新聞紙を貰い、身体中に巻付けて就寝。
翌朝は快晴、気分は爽快!
 
本日のメインイベント。
「水戸黄門」に登場する風車の弥七のモデルとなった、「松之草小八兵衛」とその妻「お新」の墓を訪ねます。
 
緒川村を走っていると、至る所で風車が目に付きました。
春のさわやかな風に吹かれてクルクルクルクル回っていました・・・。

▲お新の墓

▲弥七の墓

▲お墓の側にあった立て札
弥七の墓に、「水戸黄門ゆかりの里」と題した小冊子(小冊子と言ってもB4サイズの紙を二つ折りしたもの)が置いてあり、自由に持ち帰っていい形式になっておりました。下の文章は、その小冊子から写したものです。(※緒川村の許可を得て転載しております)
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風車の弥七の墓
「水戸黄門の諸国漫遊」は、義公が名君であったためにつくられた物語であるが、その中にでてくる「風車の弥七」は、実在の人物「松之草村小八兵衛」がモデルとなっている。
 
義公の御世(一六六一~一六九〇年)、常陸国松之草村(現茨城県那珂郡緒川村大字松之草)に、「松之草小八兵衛」という者がおった。この者は盗賊の頭領で、一昼夜に三十里(一二〇km)を往来し、忍びの術に於いても達人の優れた忍者であったという。後捕らえられたが、義公の尊徳をもって助命となったばかりか、一生涯二人月俸を給せられたので、その恩恵に非常に感激して、「自分の存命中は、決して御領内に盗賊は立ち入らせない」と誓ったというが、果たしてその言のとおり、彼の存在中は、水戸領内には夜盗の心配はなかった。又、小八兵衛は、領内や隣国の動静変事を探り、義公に報告する間者(隠密)として活躍したので、義公は居ながらにして、領内の変事はもとより、隣国の動静も知り得たという。 ≪中略≫
 
小八兵衛の墓が、松之草公民館の近くの山の麓にある。―帰真禅山祟心墓・元禄十一年戌寅五月二日歿―と書かれている。その傍らから、小八兵衛の女房の「お新」の墓碑ではないかと思われるものが発掘された。―●眞梅梢池春禅定尼霊位―元禄四年正月十一日歿―と書かれている。「お新」は旧那珂郡戸田村(現那珂町)から来たと言い伝えられている。≪中略≫
 
近年、緒川村は村内の史跡顕彰に力を注ぎ、地元松之草の協力を得て、墓地の整備を行い世に公にされた。
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また、お墓の近くには、水戸藩指定紙すき場跡地が。
黄門さまが水戸城内の奥女中達に紙すきをみせた所だそうです。
下記は、先ほどの小冊子に掲載されていたものです。
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義公の遺蹟
「義公が水戸城内の奥女中たちに紙すきを見せたところ」
資料によれば、寛政二年に水戸藩が藩外に売出した農産物の総額は、九万九千両余りで、その中で和紙は三万一千余両にのぼり、農産物総額の三十二%を占め、藩の財政を支える重要な産業であった。そのため光圀は、常に紙を大切に使用していたが、彼女たちは乱費に馴れ、改めようとしなかった。そこで義公は、ある年の寒中に、彼女たちを松之草(現緒川村松之草)につかわし、紙すきの苦労を見せたのである。寒中でもこの日は特に寒い日であった。しかし、紙すきの人たちは、冷たい北風に身をさらし、氷づくような寒水にはいって、手も足も真っ赤にして懸命に働いていた。このようすを侍女たちは熱心に見て帰った。そして以後、自分たちが日常使用している紙がいかに尊いものであるかを知り、たとえ一枚でも大切に使用したという。
 
この紙すき場跡は、松之草公民館の西百メートルのところにある。
 
このことは、水戸藩の学者、立原翠軒先生編「西山遺聞」や仙台藩の安積民斉先生著「民斉閑話」に書かれ、それらがよりどころとなり、明治三十三年(一九〇〇年)発行の尋常小学校用坪内雄蔵著「国語読本巻六」、大正八年(一九一九年)発行の国定教科書「尋常小学校終身書巻三」に採用されている。
 
なお、奥女中たちの松之草来訪は、小八兵衛が光圀公に進言して行われ、女中たちの案内・世話などは、小八兵衛たちがやったといわれている。
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風車の弥七の墓
水戸藩指定紙すき場跡
那珂郡緒川村松之草
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