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〆は温泉で
※この旅日記は、H11年3月に行ったときの記録です。本サイトの記録を、こちらのブログにまとめなおしたものとなります。現在、水戸徳川家墓所は、東日本大震災の影響で頼房公や光圀公の墓所石垣が崩れているとのこと(詳細はコメント欄に、茨城新聞の記事を掲載しています)。


 H11.3.21

この日は、助さんの住居跡→助さんの墓→水戸徳川家墓所(水戸光圀墓)と巡り、最後は瑞竜温泉黄門の湯で〆ました。

助さん住居跡
常陸太田市新宿町不老沢
助さんが住んでいたところ。建物等はなく跡地のみ。
助さんが使用したとされる深さ4mほどの井戸も残っている。


助さんの墓
常陸太田市増井町 正宗寺


 『水戸徳川家墓所
常陸太田市瑞龍町


瑞竜温泉 黄門の湯
常陸太田市瑞竜町51
http://www.koumonnoyu.jp/

瑞竜山で冷えた体を、ココで温めました。
泉質はナトリウム塩化物泉で、神経痛、打ち身、ねんざ等に効能有。すっかりリフレッシュ!!
 
温泉の玄関の所には黄門さまの像があります。
  
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茨城新聞記事より
2011年4月27日(水)
水戸徳川家墓所 頼房や光圀の石垣崩れる

常陸太田市瑞龍町にある国指定史跡「水戸徳川家墓所」を管理する公益財団法人徳川ミュージアム(徳川斉正理事長)は25日、東日本大震災によって被害を受けた墓所を公開した。水戸藩初代藩主徳川頼房の墓所は石垣が大きく崩落し、2代光圀の墓所も石垣が崩れるなどした。

水戸徳川家墓所は17世紀中期以降、光圀が定めた儒教葬の形式で営まれた近世大名家墓所。「瑞竜山」と呼ばれる広さ約15万5千平方メートルの山中に、歴代の藩主(当主)と夫人をはじめ、一族を含めた119基の墓がある。2007年7月に国の史跡に指定され、長期の保存管理計画に基づいて10年度から整備事業が進められている。

今回の地震によって特に大きな被害を受けたのは、共に石垣の崩落が顕著な頼房と光圀の墓所。このほか、歴代夫人の墓所では墓石倒壊なども見られた。

修復の見通しについて、墓所の保存整備検討委員会委員長を務める伊藤正義鶴見大教授は「通常の整備から災害復旧との2本立てに切り替え、事業を進めていくことになる。梅雨と秋の長雨をしのぐ防災工事が最優先」と話した。また、02年5月をもって休止している墓所の一般公開については被災状況と安全性を考慮し、当面は難しいとの見解を示した。

徳川ミュージアムは今後、墓所の被害をさらに詳しく調査した上で、6月に開催される同委員会で復旧事業へ向けた方向性をとりまとめ、文化庁へ毀損(きそん)届けを提出。その後、文化庁と協議しながら整備計画を見直し、復旧作業を進めていく。

徳川ミュージアムは同財団の運営と被災した施設・史跡などの復旧を目的に寄付金を募っている。問い合わせは同財団総務管理部TEL03(3704)5188。
  • 管理人モモ さん |
  • 2011/06/10 (22:34) |
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